「心と体」のアンチエイジング

南波龍童が健康と生き方を考える

親子の田植え体験を見学して

札幌近郊で行われた、親子の田植え体験を見学する機会あった。

お米の生育とか、食べものへの理解を深めてもらうのが、目的だそうだ。

ふだん口に入れている食べ物でも、
どうやって生産されるのか、分からないことが多いものだ。


広い水田が広がる田園風景は、心を和ませてくれる。農家に生まれ育った僕としては、
心底懐かしい風景に見える。


水がなみなみと張られた田んぼ。
現代は機械化だから、田植えも田植え機で行う。


農家の人もでさえ、手で植えるのは田んぼの隅のほ
うとか、補助的にちょっと行う程度だという。


田植え参加者は、親も子も裸足。
水田を見るのは初めてという小学生くらいの子は、
なかなか水で満たされた泥の田んぼに足を入れることができないでいる。


中には、泣き出す子もいれば、何度か経験があるのか、さっと入って、小さな苗を手植えする子もいる。


経験の違いは、とても大きい。
親子で、こんなふうに、田植えができるのは、素晴らしいことだ。


毎日、食卓にのぼるご飯のことだけでも、
親子で話ができる。

僕も裸足になって、ぬかるみに入った。
とても、懐かしい感じがした。


僕は農家で生まれ育った。
子どものころは、よく手伝いをしたものだ。
農家は家族労働だから、子どもも大事な働き手(笑)。子どもにでもできる仕事は、けっこうあるものだ。でも、機械化の現代は、どうなんだろうね。


足もとは、柔らかい泥の底なし沼のような感じで、
うっかりすると転んでしまう。


実際、転んで泥だらけになった子もいて、
体験の田んぼは、にぎやかな雰囲気に包まれた。


植えられた弱々しい小さな苗が、田んぼで風に揺れている。
それが太陽の光と水の力で、ぐんぐん成長する。
そして、豊穣の秋を迎える。


米作りをはじめとする人を生かす食物の栽培は、
神事なのかもしれない。

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春の滝の流れはすさまじい

幼いころから体が悪くて、30歳くらいの頃、
真言密教修験道を究めたM先生と出会い、滝修行をした時期があった。


仕事をしながら、まだ朝の暗いうちから滝に打たれる修行は過酷だった。
体が悪いのに、頭の芯から冷えて気を失いそういになる修行をするのは、
いま考えても、正気の沙汰ではなかった(笑)。

でも、そのおかげで、九死に一生を得た。
奇跡的に健康になり、還暦をすぎるまで、生かしてもらった。


とっくに、その先生はお亡くなりになり、
僕はどのお寺にも団体に属することなく、滝修行もしていない。
ただ大自然の力、宇宙の力、神々に感謝しているだけだ。


何十年かぶりに、かつて修行をした滝を訪れてみた。
今は観光地として、休日は人々が訪れるスポット。


でも、僕にとっては、生死をわけた思い出の場所である。
季節はまだ春の名残があるから、
山からの増水で流れ落ちる水の威力はすさまじい。


水が落ちる際の風と、水しぶき。
絶え間なく続く、水の唸り声のような音。


眺めていると、辛かった当時のことが思い出されて、
目の前の光景が、にじんで見えた。


大自然の前には、人間の力なんて無力だと思う。
だからこそ、大自然や宇宙、天とかの見えない偉大な力にすがり、
願い事をする。
 


僕は、ただ健康になりたいために、いろいろなことをした。
いや、させられのかもしれない。

 
そして、僕のできることは、体験を伝えることだけだ。
僕を助けてくれたM先生は、超能力者だった。

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踊りはエネルギーがアップする

札幌は、そろそろ「よさこいソラーラン祭り」が始まる。


メイン会場の大通公園は、人でごったがえし、
近くで見物するのは、なかなか難しい。
テレビで見るのが一番なので、このごろは、
会場に足を運ぶことはめったにない。


でも、本当は会場に行くのが最高だと思っている。
よく見られるからではなく、すごいパワー、エネルギーを肌で感じられるからだ。


踊りには、目に見えないパワーがあり、
それは天(宇宙)にも通じているようだ。


古来より、踊りは神や大自然に感謝するために生まれたものらしい。
日本でいえば、盆踊りなどは、その最たるものだろう。


秋の作物の豊作を祈って、みんなが輪になって踊り、天に祈る。
笛や太鼓の音に合わせて、歌い踊る。
その思いが天に届けとばかり、エネルギーが頂点に達する。


踊りは、武術にも通じている。
中国武術の稽古をしていて感じたのは、
踊り、それもバレエはすごいということ。


独楽のような中心軸を保ちながら、高速で回転するエネルギーの破壊力は、
おそらくすさまじいものだろう。
もっと言えば、武術に活用できる。


ある武術家がいった言葉の中に、「ダンサーとはケンカをするな」というのがある。
同感です(笑)。
外見は細身だけど、相当に強い体幹部をもっていると思う。


日本にも舞踊という世界があって、静かな動きの中に、
日本の精神性を存分に表しているんだろうなと想像している。


そんな理屈は抜きにしても、晴れた日は外に出て、
体を動かすと気分も良いし、元気になることまちがいなし(笑)。
アンチエイジングです。


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同窓会への出席もそろそろ卒業かな

田舎で生まれ育った僕は、これまでなるべく小学校、
中学校の同期会には出席するようにしてきた。


体調がひどく悪かった青春時代。
生きていくのが精いっぱいで、同期会の案内が来ても、
それどろこじゃなくて、出席しなかった。
いや、できなかった。

それが30代に入り、健康を取り戻してからは、
必ず出席するようにし、幹事まで引き受けるように(笑)。


ふるさとは、遠きにありて、思うもの。
幼い時期を過ごした土地が、懐かしいのは、
だれしもが感じることだと思う。


子どものころを一緒に過ごした幼馴染は、一生の友。
そういわれるけれど、果たしてそうだろうか。


中には、一度も同窓会に出席しない人もいる。
物理的に、とても遠くに住んでるわけでもないのに、出席しない人。
きっと、出たくない理由があるんだろう。


例えば、学校でいじめられたとか、嫌な思いをしたとか、
ある特定の同級生に会いたくないとかね。


そういう心の傷というか、心の闇の部分をほかの人に話すことは
少ないだろうから、
「どうして、来ないんだろうね」といった感じで終わってしまうだろう。


ある作家が、こんなようなことを書いていた。
「同級生といっても、ただ一緒に学んだだけのこと」


確かに、その通りだ。
縁があるから、同級生になったと僕は思うけど、
同じ時間と空間を共有したことには、違いない。


でも、問題はそこからだ。
成長して、社会人になって、年配になって、
僕のような熟年になると、もはや、昔の幼い自分ではなくなっている。


見た目の容姿の変わりようではなく、人間の内面の成熟度が
人によってぜんぜん違っている。
これはもう、仕方のないことだ。


田舎の同期会への参加は、故郷そのものに、
自分がどういう思いを抱いているかによると思う。



この頃、僕は同期会出席の情熱を失っている。
僕が好まない、暗い話になってしまった(笑)。

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教えてくれているのに、気づかない

運転免許証を落とした。
今のところ、まだ見つかっていない。

 

その朝、僕はATMで振り込みをするための通帳とカードを取り出し、用意した。
仕事が終わってから、振り込みをするつもりだった。

 

僕のジャケットは、物入れだ。
長い財布に、手帳、運転免許証入りの名刺入れ、万年筆、シャープペンシル
これが日々の仕事グッズである。

この朝、通帳とカードを専用のビニールケースに入れ、手帳と、運転免許許証入り名刺入れをいっしょに内ポケットに入れてみた。

 

「うーん、かさばって重いな」
リハーサルで、通帳のビニールケースを取り出してみると、
名刺入れがポトリと床に落ちた。

 

数年前、名刺入れを落としたことがあった。
幸い、交番に届けられて僕の手元に戻ってきた。
「よい人に拾われて、ラッキーだったね」と、お巡りさんに言われたものだった。


朝は、何かと忙しい。
気ぜわしく、玄関を出て職場に向かうと、ズボンのポケットに、
クルマのキーが入っている。
「あれ、おかしいな」

出勤はいつも徒歩。
イカーのキーを入れることなど、ないからだ。
ちょっとした違和感を感じながらの一日。
夕方、仕事を終えて、予定通りATMに寄り、振り込みを済ませた。


帰宅すると、運転免許許証入り名刺入れが上着のポケットになかった。
落したのだ。
場所は、ATM以外に、考えられないような気がした。


名刺はともかく、運転免許許証がないことには、車を運転できないので、
とても困る。


僕は、朝の出来事を頭の中で振り返ってみた。
宇宙や天は、「運転免許許証を落とすことになるから、気を付けろ」という
メッセージを送ってくれていたにもかかわらず、僕はそれをキャッチできなかった。

いつも、忙しいとか、これも、あれもしなくちゃ。
たぶん、これがいけないんだろうな。
宇宙とか天とかのサインを、見逃すことになるんだと反省した。若いころは、泥酔して、財布も免許許証もぜんぶ、落としたことがあった(笑)。
そのときも、幸いに戻ってきた。


人生で、もっともっと大事なものを失わないように、
耳を澄ますことが大事なんだろうね。


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勇気を出して、自分に合う世界に行こう

夕方、居酒屋や焼き鳥は、仕事を終えたサラリーマンたちでにぎわう。
フリーで長年、仕事をしてきた僕には、ちょっとうらやましい光景だ。


グラスを傾けながら、ワイワイガヤガヤ、談論風発するのは、
決して悪くはないね。


でも、近ごろの若い人は、
職場の人と飲みに行かない傾向があるらしい。
酒の席での付き合いが希薄になっているらしいのだ。


でも、職場で個人的な「飲みにケーション」がまったくないことこそ、マズイんじゃないだろうか。
僕はサラリーマンの経験もあるから分かるけど、気の合わない、嫌な奴と、
飲みになんか行きたいとは思わないものね(笑)。


そんな人間と食事をしたり、酒を飲んでも、おいしくない。
免疫力が下がるだけ、と思ってしまう。


この人間関係こそが、大勢の人間が集まる組織で働くサラリーマンのつらいところ。
でも、そのつらさも、給料に含まれると考えるしかない。
いや、それが現実だ。


だから、気の合う、よい人たちに囲まれた職場にいる人間は幸せである。
給料が高い、低い以上に、「人間の質」「人間の種類」は大事だと僕は思う。


職場で嫌な思いをしたり、イジメられたら、
ストレスで病気になってしまうよ。


精神的な病気は、肉体の病気を引き起こし、
やがては体がボロボロになってしまう。


そうなる前に、僕は職場をやめるべきだと思う。
そんな劣悪な環境に自分を置くことは、いけない。
自分で自分をいじめることを意味し、
自分を大事にしていない証拠だよね。


自分に合う世界、自分が快適と思える世界に旅立とう。
それには勇気が必要だ。


勇気の基になるのが、信念だったり、信仰だったりする。
そして、いろいろなことを相談できる、話を聞いてくれる人がいるだけで、
心が癒される。


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北海道はリラ冷え

5月も下旬だというのに、北海道は肌寒い日もある。
遠くに見える山々の頂上には、まだ白いものが見える。
冠雪しているから、山から吹き下ろす風は冷たい。


札幌の街は、ちょうど今、
ライラックが、可憐な薄紫の花を咲かせている。
ライラック祭が、いま、まっさかりで行われている。
ライラックの花は、別名リラという。


今の時期の肌寒いことを、リラ冷えと呼ぶ。
これは「リラ冷えの街」という小説を書いた、北海道出身の直木賞作家、渡辺淳一で一躍有名になった。


ちょっと古い作家なので、僕たちのような年配しか分からないかもだが(笑)。
桜が散り、暖かい日もあるけれど、ライラックの花が咲くようになると、冷え込む「リラ冷え」があるのが北海道だ。


春が来て、一気に暖かくなるのではなく、
リラ冷えがあり、今度は初夏に向かってようやく気温が上がる。

なんか、人生と同じように感じる。
いや、株と同じかな(笑)。
上がったり、下がったりしながら、未来に向かって進んでいく。
いわゆるジグザグの線。


これを運と呼ぶのなら、なるべく下に下がらないように、
ストレートに上昇してほしいと、人々は開運祈願をする。


北海道の真ん中あたりの地域は、今週あたりから田植えが一斉に始まる。
昔のように、農家の人が腰をかがめて植える光景は、もう見られない。


日本はどこでも同じだが、機械化が進んでいるので、
田植え機が田んぼの中を走っている。
少子高齢化だもの、当然ですよね。


人生は冷たい向かい風にも、めげないで前に進み、
田んぼのような、ぬかるんだところでも泥だらけになって、
歩かなければならないことも多い。


ファイト!


僕は自分に、そう言い聞かせている。br />

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